人づきあいと身心脱落

道元思想のキー・ワード「身心脱落」について。

心身を束縛している自我から開放されて無我の境地へ行き着くこと。

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「角砂糖が湯の中に溶け込んだとき、角砂糖が消滅したのではないのです。ただ角砂糖という状態――それが<俺が、俺が……>といった自我意識です――でなくなっただけです。

砂糖は湯の中に溶け込んでいるように、自己は悟りの世界に溶け込んでいるのです。身心脱落とはそういうことです。」

(「[新訳]正法眼蔵 迷いのなかに悟りがあり、悟りのなかに迷いがある 道元著,ひろさちや編訳」より

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「水に月のやどるがごとし」(『現成公案』)というもの。

静かな水には、たとえそれが一滴の水であっても大きな月の姿が欠けることなく映り、水も月も互いを妨げません。

その様子に託して、常に外に働き出ようとする自我を静めたところにのみ実は常に存在する悟りという月の姿があらわれること、そして水は月を映すという自覚もなく、映した後も変わらず水のままである、という我々と悟りとの関係を的確に表現した・・

(上記書籍のアマゾンカスタマーレビューより)

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人付き合いにおいて、相手に自分が自分がという意識や失敗したらどうしようという意識が働くと、相手はそれを感じ取る。

すると、相手の居心地が悪くなって、それ以上の距離を近づけなくする。

人付き合いだけでなく、勝負の場面などでも、そこに溶け込むという感覚がないと、過剰に緊張してしまう。あるいは、とってつけたような理屈が先行してしまう。

結果、本質を見誤る。

そういうことがあるかと思うのですが、これもそういうことを知って、修行するしか身につかないものかもしれません。




しん研良院 奈良県香芝市のカイロプラクティック
原因のよくわからない痛みや不調に対処する施術院
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